西田昌史 鮮コーポレーション株式会社 代表取締役会長~小さな魚屋から一大和食フードビジネスへ・「こけたら立つ」の精神

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広島のフードビジネス

広島県は海に面しており、広島産牡蠣をはじめ新鮮でおいしい魚介類が有名です。そればかりではなく広島焼きなどのご当地フード、更には広島牛など様々なグルメがあり、地元の人や観光客の舌を唸らせています。そんな広島の一大飲食チェーン──鮮コーポレーション株式会社の名を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。広島のフードを手軽に楽しめる店舗をチェーン化している和食フードビジネスの会社です。
回転寿司ながら本格的な魚介を提供する「すし鮮」「すし辰」10店舗。新しいスタイルで楽しむ焼肉屋「カルビ屋大福」2店舗。広島が誇る鮮魚の小売り販売事業「新鮮市場」2店舗。そして宮島外苑という名所に建つ「鄙の料亭地御前」。広島市、呉市、庄原市など、広島県南部を中心にこれらの店舗を広げ、経営を行っています。
決して全国展開を狙うのではなく地元広島で愛されるお店づくりを目指すのは、今は会長となった西田昌史の方針だといいます。そんな西田昌史の、鮮コーポレーション株式会社にかける思いとはどのようなものなのでしょうか。

始まりは小さな魚屋

広島県庄原市は瀬戸内海からも日本海からも距離があり、海の側とは言い難い場所です。1949年、この地に「西田鮮魚店」という小さな魚屋を創業したのが西田昌史の両親である昌男・ユキ子夫妻でした。高校卒業と同時に息子・昌史、それから弟たちも一緒に「西田鮮魚店」の仕事を手伝うようになります。ショッピングセンターへの出店をきっかけに、西田兄弟は事業展開の面白さを知りました。
そこで出会ったのが「回転寿司」という存在でした。「すし家族」の開業です。お寿司の皿がレーンに乗ってクルクル回るという姿が当時まだ珍しかったからか「すし家族」は繁盛し5店舗を構えるまでになりました。そのノウハウを活かし、念願の広島市に「すし鮮」を開店。西条から可部、呉から廿日市へと。少しずつですが店舗を拡大していき、焼肉店「カルビ屋大福」「鄙の料亭 地御前」も加え、今日の鮮コーポレーション株式会社が誕生したのです。

「こけたら立つ」の精神

西田昌史は1952年生まれ。座右の銘は「こけたら立つ」──実際、広島市への出店は苦労が尽きなかったといいます。庄原の魚屋ということで当時は軽く見られ、始めのうちは店舗の土地を貸してくれる人も見つからなかったとか。「こけたら立つ」の精神で、経営の勉強をし、全国の寿司屋を回って学びを得て、ようやく店舗開店にこぎつけたのです。
だからこそ、西田昌史は地元広島県の食材にこだわってグルメを提供することにこだわっています。これからも広島に根ざした会社でありたいというのが西田昌史の願いです。

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