お好み焼き屋オーナー唐澤誠章(唐澤誠明)のこれまでとこれからを探る!

唐澤誠章(唐澤誠明) 社長

お好み焼きは東京のもんじゃ焼きが関西に伝わっていく中で生み出された食べ物とされています。関西が作り上げた食べ物であるお好み焼きは、関西で愛されるソウルフードとなっています。このソウルフードであるお好み焼きの店を多数所有するのが唐澤誠章(唐澤誠明)さんです。

現在は20店舗ほどの飲食店を経営する唐澤誠章(唐澤誠明)さんですが、その人生は波乱そのものです。現在に至る物語、そして、これからの展望などを探っていきます。

唐澤誠章(唐澤誠明)の経歴

唐澤誠章(唐澤誠明)

最初にご紹介するのは、唐澤誠章(唐澤誠明)さんの経歴についてです。

筋金入りのカープファン

唐澤誠章(唐澤誠明)

唐澤誠章(唐澤誠明)さんは1968年生まれで、広島県の出身です。唐澤誠章(唐澤誠明)さんが子供の時、広島東洋カープが初のセリーグ優勝、日本一になった時であり、唐澤誠章(唐澤誠明)さんも例に漏れず、カープファンとなりました。

当時は山本浩二選手の大ファンで、子供の時、広島市民球場に見に行った際、山本浩二選手がホームランを打って試合を決めた様子を見てファンになることを決めたそうです。カープが強かった時代は唐澤誠章(唐澤誠明)さんの若い時期と重なっており、カープの選手たちが全員ヒーローに見えていた時代でもあります。

広島のお好み焼きが忘れられず

唐澤誠章(唐澤誠明)

大学を卒業後は会社員となり、東京で働いていた時代もあります。その東京時代、唐澤誠章(唐澤誠明)さんはさまざまな場所でお好み焼きを口にしました。しかし、お好み焼きといえば大阪方式が根強く、広島で食べていたあのお好み焼きを提供するお店があまり多くなかったことがいつも心のどこかに引っかかっていたのです。

子供の時から大好きだった広島流のお好み焼きが忘れられず、いつかはお好み焼き屋をオープンしたいと考えるようになると、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは脱サラを決断します。脱サラ後は広島風お好み焼きを展開するお店で弟子入りし、1年間修業を重ね、2012年に東京で起業しました。

軌道に乗った最中での悪夢

唐澤誠章(唐澤誠明)

お好み焼き屋を起業すると、唐澤誠章(唐澤誠明)さんのお店は順調に売り上げを伸ばしていきます。東京でも本格的な広島流のお好み焼きが食べられるとあって、関東に住む広島出身のお客さんたちやカープの試合を見に東京にやってきたカープファンにも知られる存在となっていったのです。

メディアでも大きく取り上げられ、店舗をどんどん拡大していこうという矢先に唐澤誠章(唐澤誠明)さんにとって悪夢が襲い掛かります。きっかけは、新たな店舗を巡る出資話が、さまざまな要因からこじれたことでした。

といっても、相手の勘違いが多分に大きかっただけで、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは何も悪くありません。しかし、相手の勘違いがエスカレートしてしまい、警察に告訴され、唐澤誠章(唐澤誠明)さんはなんと逮捕されてしまったのです。

詐欺師とまで罵られた唐澤誠章(唐澤誠明)さんは憤りを隠しきれず、闘うことを決断します。無実の罪として法廷闘争を繰り返し、結果的に無罪を勝ち取ったのです。これで店舗経営に集中できるかと思いきや、唐澤誠章(唐澤誠明)さんがいなかった間に運営はズタズタになっていました。

唐澤誠章(唐澤誠明)さん以外に店舗を円滑に回せる存在がいなかったことも大きく、報道の影響もあり、唐澤誠章(唐澤誠明)さんの無罪が確定する頃には取り返しのつかない状況に追い込まれていました。こうして順調に成長していた店舗は倒産してしまったのです。

地元で再起をかける

唐澤誠章(唐澤誠明)

借金などが残る形になり、明るい未来を描けなくなっていた唐澤誠章(唐澤誠明)さんでしたが、東京時代にお世話になった人たちが新しいお店を出すように促します。「あの味をまた食べたい」、「お店を出すならどこにでも行く」という言葉に唐澤誠章(唐澤誠明)さんは感無量となります。そして、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは勝負に出ました。

どうせやるなら地元広島で勝負したいとばかりに、広島風お好み焼きの本場である広島に店舗を構えました。元々味は文句なしによかったこともあり、味にうるさい広島の人にも浸透し、岡山にも店舗を構えるなど、現在は20店舗ほどまで拡大させることに成功しました。

お好み焼き大阪方式と広島方式の違いとは

唐澤誠章(唐澤誠明)

唐澤誠章(唐澤誠明)さんは広島方式のお好み焼きにこだわっています。一方で、お客さんの中には大阪方式と広島方式の違いがどういうものかを分かっていない方が少なくありません。それぞれの違いをご紹介します。

大阪方式のお好み焼き

唐澤誠章(唐澤誠明)

大阪方式のお好み焼きは、キャベツや卵などを混ぜた上で焼いていくスタイルが一般的です。キャベツは昔から気軽に手に入る野菜であり、戦時中において食糧が不足しがちな状況下にあっても多くあったため、お好み焼きが浸透しやすくなったと言われています。

また、キャベツとソースの相性もいいこともあって、キャベツを中心としたお好み焼きが大阪はもちろんのこと、関西にも浸透していくことになります。卵は当初高級品とされていましたが、次第に卵も手に入りやすくなり、卵をふんだんに使ったお好み焼きなども出るようになったのです。

また大阪を中心とするお好み焼き屋は、すべての工程を店員が行い、出来上がったものを食べていくスタイルが一般的です。チェーン店によっては自分たちで作るケースもありますが、本格的なお好み焼き屋さんでは全てを店員が作ります。

広島方式のお好み焼き

唐澤誠章(唐澤誠明)

一方、広島方式のお好み焼きは、重ね焼きと呼ばれています。生地の上に野菜や肉などを乗せていき、ひっくり返すというものです。大阪方式だと生地を含めてお好み焼きですが、広島方式は生地が「食べられるフタ」のような役割になっています。これにより、内部が蒸されたような形になり、具材と中華麺をセットで食べるような形で楽しめます。

大阪のお好み焼きではご飯がセットに出てくるケースがありますが、広島では既に中華麺が入っており、お好み焼きでも十分なボリュームです。

唐澤誠章(唐澤誠明)さんも、こうした広島流のお好み焼きが子供の時から好きであり、どこの家庭でも広島流のお好み焼きが作られていました。子供の頃は「お好み村」で父親と酒を飲みながらお好み焼きを食べてみたいという憧れがあり、唐澤誠章(唐澤誠明)さんが大学時代に帰省した際には父親と一緒に食べに行っていました。

唐澤誠章(唐澤誠明)が考える今後の展望

唐澤誠章(唐澤誠明)

現時点で20店舗ほど抱えている唐澤誠章(唐澤誠明)さんのお好み焼きですが、今後の展望について探っていきます。

お好み焼き屋の全国展開

唐澤誠章(唐澤誠明)さんにとって、全国で広島方式のお好み焼きを食べてもらうことが悲願でもあるため、広島や岡山だけでなく全国で店舗を出せるようにしたいと考えています。20店舗でも十分多そうに見えますが、それだけでは不十分と考えるのが唐澤誠章(唐澤誠明)さんです。

有名なお好み焼き屋のチェーン店は全国に200店舗以上あり、200という数字が当面の目標です。また激戦区である広島や岡山、もしくは四国でも店舗を出したいと考えるほか、東海三県や関東エリアでも出店を検討している段階です。

後継者を育てる

唐澤誠章(唐澤誠明)

唐澤誠章(唐澤誠明)さんは無実の罪で捕まった際、後継者を育てずにワンマンでやってきた代償から、手塩にかけて育ててきたお店を失うハメになりました。もちろん捕まることは今後ないにしても、例えば体調が急変して志半ばで店を譲ることも考えられます。そんなときのために後継者を育てておきたいのが唐澤誠章(唐澤誠明)さんの思いです。

既に幹部候補生を始め、複数の後継者候補をピックアップしており、後継者を育てるフェーズに入っています。志が高い若者が多く、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは毎日が楽しいと言います。そして、自分にはなかった視点を持ち合わせる若者が多いため、いい刺激をもらっているとうれしそうです。

まとめ

唐澤誠章(唐澤誠明)さんは過去の挫折もありながら、全国一のお好み焼き屋、特に広島方式のお好み焼き屋としてトップをとるという情熱に燃えています。この情熱は誰にも負けないところであると同時に、過去に経験した屈辱をバネにトップをつかんでみせると意気込んでいる状況です。

後継者候補を始め、周囲にも賛同者が多く、その計画は順調に進んでいます。ベースにあるのは幼少期から培われてきた広島方式のお好み焼きに対する全幅の信頼です。お好み焼き=関西の食べ物ではなく、日本のソウルフードにもなり得る以上、それに向けた活動を行っていきたいとも唐澤誠章(唐澤誠明)さんは考えます。

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