株式会社ブリングアップ史とは?
今回ご紹介するのは、株式会社ブリングアップ史で代表取締役をつとめる、野田 直史さんです。株式会社ブリングアップ史は、テレビ番組の制作を行う企業。テレビ局などに社員を派遣したり、広告を請け負ったりしています。2001年に有限会社メディアネットワークとして設立され、2008年に株式会社化。『エンタの神様』などの人気番組の制作にも関わっています。資本金は2000万円です。株式会社ブリングアップ史の特徴は、人材を育成し、卒業させるというシステム。毎年多数の新卒社員を採用していますが、その多くがテレビマンとして育成された後、制作会社などに転職しています。そんな株式会社ブリングアップ史を率いる野田 直史さんは、どのような思いで経営を行っているのでしょうか?人物像に迫ります。
野田 直史さんが社長になるまで
野田 直史さんは、1961年に福岡県で生まれた後、兵庫県尼崎市で育ちます。大阪学院大を卒業後関西に拠点を持つ商社に就職。最初の1年は肉体労働、2年目からは営業職を経験しましたが、あまりの過酷な環境で体を壊し、1ヶ月ほど休養したこともあるそうです。そんななかでも成果を残し、若手では異例の昇進をしますが、30歳で退職。退職後は様々な異業種の企業を転々とし、仕事を必死で覚えては成果を残し、またゼロからスタートし…を繰り返したそうです。社会人として生き残るために、歯を食いしばりながらくらいつき、やるしかないという気持ちで理不尽なことにも耐え…そんななか2003年に友人が経営をしていたテレビ制作会社へ就職。テレビ番組制作を行う人材の育成を担当します。その後、ブリングアップ史を設立し、代表取締役に就任しました。
野田 直史さんの社長としての想い
株式会社ブリングアップ史が求める人材像は特になし。強いて言うなら学歴が高くない人…。これは、どんな人でも必ず長所があるという思いから。学歴がある人は素直になれず、自分はできると天狗になりがちなので、逆に成長が見込めないんだとか。株式会社ブリングアップ史では、3年かけて一人前に育てるというメソッドがあり、その3年間でADとして実地経験を積むそうです。その間に、テレビ制作者としてのスキルはもちろん、人間力や社会人としての心構えも教え込むんだとか。その思いは全て、野田 直史さん自身が様々な社会経験をし、必死に食らいついてきたからこそ。社会は厳しい。だからこそしっかりと人間として成長しなければならない。社員には、この先何十年も社会で生きていけるための力を身に着けさせてあげたいと語っています。
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