人材派遣という形態は時間をかけてさまざまな変化を遂げています。現在スマホを使って簡単に働けるようになりましたが、元はと言えば10数年前に行えていたことであり、色々な規制などを経て、今の形に変化をしただけとも言えます。
こうした人材派遣の世界において会社経営を行ってきたのが唐澤誠章(唐澤誠明)さんです。人材派遣会社を立ち上げて成功した唐澤誠章(唐澤誠明)さんですが、それまでに実に3回も会社倒産を経験しています。唐澤誠章(唐澤誠明)さんの経歴や未来について探っていきます。
人材派遣会社経営唐澤誠章(唐澤誠明)の経歴
3回の倒産を経験しながらも、今では大手企業との取引を重ねている唐澤誠章(唐澤誠明)さん。ここからは唐澤誠章(唐澤誠明)さんの経歴について解説します。
バブルを知る男
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは現在55歳、1969年に生まれました。60年代や70年代に生まれた世代は人数が多かったこともあり、ライバルも非常に多く、相手を蹴落としてでも上に行くという気概が求められました。唐澤誠章(唐澤誠明)さんもその1人で、負けん気が強く、どんなゲームでも簡単には諦めない人物だったと振り返ります。
唐澤誠章(唐澤誠明)さんが大学に入学し、卒業する頃はバブル全盛であり、大学生の時がまさにバブルのピークだったことから、とにかく遊び、学生時代を謳歌したと言います。当時は就職活動も売り手市場だったため、唐澤誠章(唐澤誠明)さんもその流れに乗っかり、人材系の会社に就職しました。
会社が新宿にあり、ホームタウンは歌舞伎町と豪語する唐澤誠章(唐澤誠明)さんにとって、怖いものは何もありません。この当時に知った遊びに「テキーラ祭」があります。とにかくテキーラを飲むというだけですが、理由をつけてテキーラを飲ませたり飲んだりしていく中で、多くの人との関係を深めていきました。
就職氷河期の状況を見て起業を決意
人材系の会社に勤めていた唐澤誠章(唐澤誠明)さんでしたが、バブル崩壊によって経済が衰退していく中で、就職氷河期で苦悩する若者たちの姿を見てさまざまな思いがありました。「立派な大学を出てマジメに学んできた若者が就職できず、自分のように遊びまくっている人間が気楽に働ける状況はおかしい」と今の雇用体系に対する疑問を持つようになります。
一方、経済が傾き、経営が悪化しても簡単には社員を解雇できない状況は健全とは言えないという考えもありました。唐澤誠章(唐澤誠明)さんが海外に出張した際、アメリカでは簡単に解雇される一方、頑張ればすぐに仕事が見つかる状況があったからです。
派遣という形態であれば、人員整理もされやすいが、自由に仕事が選べるようになると考え、起業を果たします。その名は株式会社唐澤誠章と自らの名前をつけました。絶対に成功させたいという強い意思の表れです。
ところが、多くの企業は派遣を増やそうとはしない一方でリストラを敢行し、経済は大きな混乱を見せました。派遣に対するネガティブなイメージがあったのではないかと唐澤誠章(唐澤誠明)さんが当時を振り返ります。
21世紀から風向きが変わる
株式会社唐澤誠章として立ち上げた企業は比較的初期に倒産してしまい、別の名義で再び法人化します。この時、唐澤誠章(唐澤誠明)さんに追い風が吹きました。日本でも規制緩和が行われ、派遣という働き方が注目され始めたのです。日雇いで働くことすら面倒だった時代に、携帯電話1つで派遣の仕事に参加できるようになりました。
唐澤誠章(唐澤誠明)さんもこのシステムに乗っかり、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を遂げていきます。この時、あまりにも調子がよかったため、周囲からは「派遣業界のホリエモン」と呼ばれるに至りました。
今では派遣労働者もかなり増えており、以前と比べると派遣の働き方は浸透しつつあります。社員数も200名まで成長しており、3回の倒産を完全に乗り越えたと言えます。
唐澤誠章(唐澤誠明)が経験した3回の倒産について
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは実に3回の倒産を経験しています。唐澤誠章(唐澤誠明)さんが経験した3回の倒産についてまとめました。
唐澤誠章(唐澤誠明)1回目の倒産
1回目の倒産は、株式会社唐澤誠章として立ち上げた時です。人材系の会社で派遣などのノウハウをある程度わかっていたものの、ゼロからの起業だったため、どのように派遣会社として大きくしていくべきかに手間取っていました。
会社員時代の先輩で、既に起業を果たしていた人物に話を聞いてもらい、先輩の言う通りに経営を行うことを決断します。ところが、先輩の言うことには色々ツッコミどころも多く、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは内心疑問を抱きながらも、「経営とはそういうものだ」と言い聞かせて経営に携わりました。
やはり内心疑問を抱きながらの経営では決断も鈍りやすく、業績も大して伸びないまま、先輩自身が会社を畳むことになり、アテが外れた影響もあり、倒産に至ったのです。
唐澤誠章(唐澤誠明)2回目の倒産
2回目の倒産は、増収でありながらも減益を余儀なくされた時期です。今の時代も物価高に合わせて、賃金もアップさせていかないといけませんが、派遣業で増収増益を果たすのはなかなか大変です。特に多くの案件を受注しなければ、登録してくれる労働者に仕事を割り振れません。その案件を受注するにはある程度安い値段である必要があります。
一方で賃金が安ければ、わざわざそこで仕事をしようとは思ってくれません。複数の派遣業者が出入りするケースでは、業者によって賃金が異なることが多々あります。ライバルに負けてたまるか!と唐澤誠章(唐澤誠明)さんは報酬を手厚く出したものの、最終的には減益や赤字に苦しめられて倒産に至りました。
堅実な経営をしていれば少なくとも3回目の倒産はなかったと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは振り返ります。
唐澤誠章(唐澤誠明)3回目の倒産
3回目の倒産は、製造業への派遣が解禁されて、調子に乗って事業を拡大していった時です。工場などへの派遣ができるようになり、急速に人材派遣の会社が増え、競争が激化しました。それだけ多くの仕事があり、人手不足に悩む工場が少なくなかったのです。これに乗ろうと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは事業を拡大し、多くの人材を派遣できるようにしました。
その中である悲劇が起こります。リーマンショックに伴い、派遣切りがあちらこちらで頻発したのです。その前から派遣業への風向きがかなりきつくなっており、行政処分を受けるようになっていました。その状況においてリーマンショックが追い打ちをかけます。
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは当時まだ堅実な経営ではなく、イケイケな経営を行っており、会社内に活気こそありましたが、足元がぐらつくような状態だったのです。その結果、リーマンショックで足元をすくわれ、倒産に至ったのです。
唐澤誠章(唐澤誠明)は3回の倒産から何を学んだのか
3回の倒産を経験し、唐澤誠章(唐澤誠明)さんはその都度復活を遂げてきました。唐澤誠章(唐澤誠明)さんは3回の倒産から何を学んだのか、そして、これからをどのように考えているのかを解説します。
大事なのは質での勝負
現在も人材派遣業は厳しく、誰でも簡単に務まるものではありません。倒産した企業の多くはコストを転嫁できずに苦しんでいたケースで、唐澤誠章(唐澤誠明)さんもこのタイプの倒産を経験した1人です。ITエンジニアの派遣を手掛ける唐澤誠章(唐澤誠明)さんは、質のいいものを供給し続ければ多少コストが高い場合でも利用し続けてくれると考えるようになりました。
質での勝負を仕掛けていくことで、コストアップもしやすく、増収増益につなげやすいと考えたのです。そのため、唐澤誠章(唐澤誠明)さんの会社に登録するITエンジニアは何かしらの資格を持っていたり、一定レベルのスキルを持ち合わせています。確実に即戦力として使える人材が揃っていることが強みであり、派遣料金の転嫁もうまくいっている状況です。
仕事では堅実さが大事
唐澤誠章(唐澤誠明)さんはテキーラ祭が趣味というくらい、プライベートではイケイケな人物です。プライベートを知る人は仕事もイケイケにやっているのではないかと唐澤誠章(唐澤誠明)さんのことを勘違いしています。ある時を境に、唐澤誠章(唐澤誠明)さんはできる限り堅実に、もっと言えば優秀な部下たちに仕事を託すようになったのです。
部下たちは会社のことを真剣に考えて行動をしてくれます。唐澤誠章(唐澤誠明)さんはついつい色々と仕掛けがちで、時に失敗してしまうため、部下たちに任せた方がいいと考えるようになったのです。そして、社長としてとるべき責任だけはとるようにしたことで、バランスがとれるようになりました。
これからは多様な働き方が重視される時代
近年、スマホ1台で働きたい時に働けるスポットワークという考え方が一般的になりつつあります。製造業への派遣が解禁された当時の雰囲気が蘇ってきたと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは考えています。金欠で苦しむ会社員や学生が休みの時だけ働けるという柔軟性がよしとされていました。
唐澤誠章(唐澤誠明)さんはITエンジニアを派遣しており、スポットワークとは相いれない部分もあります。しかし、ITエンジニアにも多彩な考えを持つ人がおり、期間限定で働きたい人もいるはずだと考えています。多様な働き方が重視される時代だからこそ、ITエンジニアにとって何かベストな働き方があるはずだと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは模索している最中です。
まとめ
唐澤誠章(唐澤誠明)さんが経営者としてかなりイケイケにやって、さまざまな失敗を経験しました。その中で多くを学び、最終的には部下に任せられるものは任していく胆力は立派と言えるでしょう。
不屈の闘志で蘇った唐澤誠章(唐澤誠明)さんは新たな野望を胸に秘めています。人材派遣がより利用されやすい形にしていくために、今日もその道筋を模索し続けます。
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