小紫芳夫氏/横浜倉庫株式会社旧社長を徹底調査!経営者である小紫芳夫氏のプロフィールとは?

社長

全国の港には輸入したもの、輸出するものを管理する倉庫があります。この倉庫では徹底した温度管理を行って、品質に影響がないようにしています。明治時代から会社を立ち上げ、100年以上倉庫関係の事業を展開するのが横浜倉庫株式会社です。

この横浜倉庫株式会社を長年けん引し、資本金1億円の企業にまで成長させたのが小紫芳夫さんです。現在は小紫芳夫さんの息子が引き継ぎ、経営を担っていますが、小紫芳夫さんがどのように関わってきたのかをご紹介します。

横浜倉庫の歴史について

小紫茂夫

横浜倉庫は1906年から始まっており、100年以上の歴史を誇ります。横浜周辺の埋め立てを行い、その埋め立て地に倉庫を作り、倉庫業を展開。関東大震災がありながらも、それでも倉庫を作り続け、昭和初期には全国屈指の倉庫会社に成長します。

しかしながら、戦争があったことで先行きが怪しくなり、多くの土地を進駐軍に摂取されてしまいます。それでも小紫芳夫さんの父である鈴江繁一さんが埋立事業を行い続け、造船会社などを買収。

その後は倉庫業などに専念し、営業所を拡大。1995年には本社ビルを立ち上げるなど、その規模は平成、令和と大きくなり続け、関連企業も造船や運送などいくつも抱える一大グループに成長を遂げます。

強みは自社の埠頭があること

横浜倉庫は横浜港に自分たちの埠頭を持っており、これが大きな強みとなっています。明治時代から拡大を続け、社有地は実に5万坪以上。これらは横浜倉庫で埋立て作られており、自社の埠頭は最大で12メートル、長さも1000メートルと規模が大きく、自社の敷地で船を横付けでき、倉庫の管理も行えます。

そもそも横浜倉庫とはどのような会社なのか

小紫茂夫

横浜倉庫という名前を聞くと、倉庫の会社であることは誰しもが想像できるところです。もちろん、横浜倉庫では倉庫業も展開していますが、これだけに限りません。ここでは横浜倉庫とはどのような会社なのかをご紹介します。

大切なワインを守るワインセラー

横浜倉庫では海外から輸入された食品・酒などを一旦倉庫で保管する仕事を行っており、特にワインセラーとしての評価は非常に高いです。扱っているワインの数は実に数千種類と非常に豊富。どんなワインにもベストな条件があり、その条件に合わせて管理を行います。

具体的にはフランスワイン、チリワイン、インドワインなどそれぞれの産地などに合わせて温度管理を徹底しており、厳しく検品のチェックを行うなど、品質を損なわないようにする配慮がなされています。

これに加えて、この段階でワインにラベルを貼るなど流通していく上でよりスムーズに事が運ぶように対策を立て、品質管理に力を入れます。長年の積み重ねが信頼につながっているといっても過言ではありません。

大豆の選別

横浜倉庫にはワインだけでなく海外から様々なものが届きますが、その中でも代表的なものに大豆があります。豆腐や納豆など当たり前のように食べ、オートミールにも用いられる大豆ですが、その自給率は10%を切っているのが実情で、アメリカなどからの輸入に頼らざるを得ないのが実情です。

その大豆は取り扱いがかなり難しく、かなり高いハードルが設けられています。この大豆の管理を担っているのが横浜倉庫です。大豆を管理するために用意された倉庫は温度管理が徹底されているほか、遺伝子組み換えを行っていない専用の大豆のサイロを用意するなど、安全管理、品質管理に力を入れ、大豆の選別も行っています。

不動産賃貸

横浜倉庫ではワインセラーとしての機能のほかにも、不動産賃貸の業務も手掛けています。レインボーブリッジのすぐ近くにあるヨコソーレインボータワーは、横浜倉庫の事業所があった跡地に作られた高さ23階の複合施設です。

ヨコソーレインボータワーは三角形のような形になっており、高速道路からでもヨコソーレインボータワーは丸わかり。横浜倉庫の本社が入っているほか、カネボウ系列のクラシエホールディングスの本社も入り、上層階は住宅にもなっています。

ヨコソーレインボータワーの住宅はヨコソーレインボータワーハイツと呼ばれ、その家賃はおよそ15万円から45万円ほど。目の前にはレインボーブリッジが広がっており、夜景は抜群です。不動産賃貸業はこれらの部屋を貸し出す際の賃料を基にしているので、そこまで手広くやっているわけではありません。

小紫芳夫と横浜倉庫

小紫茂夫

小紫芳夫さんは1928年生まれで、横浜倉庫の取締役でもあった父の鈴江繁一さんの三男として誕生します。小紫芳夫さんは1962年に横浜倉庫が買収した墨田川造船株式会社の社長となりますが、この時、父の鈴江繁一さんも亡くなっていたことで1963年には横浜倉庫の代表取締役社長に就任することになりました。

時代は高度経済成長期、成長率は10%を大きく超えるという今では考えられない高成長を受け、横浜倉庫も営業所と倉庫の増設を積極的に行い、関連企業も立ち上げます。成長の中で輸入に頼らざるを得なくなり、その分、埠頭を利用するケースは急増。横浜は東京に近いこともあり、積極的に活用されることになります。

馬主としても活躍

小紫芳夫さんは馬主としても活躍しており、スズパレードで宝塚記念を制するなど、G1オーナーとして結果を出しました。馬主としては10年間東京馬主協会の会長を務めたのち、直後8年間、日本馬主協会連合会の会長を歴任。

個人馬主が元気でなければ競馬は廃れるという考え方を持ち、馬主に対する手当などをもっと拡充していくべきだと訴えかけました。会長時代はあまりにも強いリーダーシップもあり、少しついていけない人もいた中で力強くけん引し続けた小紫芳夫さんです。

今の横浜倉庫に送る小紫芳夫のメッセージとは

小紫茂夫

2005年に会社創立100周年を迎えていた横浜倉庫。この当時、77歳だった小紫芳夫さんはまだ社長として健在だった時期です。この100周年で小紫芳夫さんはあるメッセージを送っていました。

「しくじるな」のメッセージ

小紫芳夫さんは今後横浜倉庫を担うであろう社員たちに「しくじるな」というメッセ意地を出していました。決して保守的になれというわけではないものの、100年先がどうなるかは分からない中、守るも攻めるも自由だが、とにかく「しくじるな」というメッセージを伝え続けてほしいと語ります。

また「ため水は腐るが、流れる水は腐らない」というメッセージも出しており、将来の社長やその候補たちに様々なヒントを出していました。同じことをただただ続ければいいわけではなく、水の流れのようにどんどん新しいことを行い、循環させていくことの大切さを語っているのかもしれません。

小紫芳夫さんは2010年にこの世を去りましたが、それから10年以上が経過しても会社が傾くことはなく、安定した会社経営が息子さんの手によって行われています。

まとめ

横浜倉庫は伝統的な企業であり、実に100年以上の歴史を誇り、まだまだ日本の産業にとって欠かせないポジションにあります。「しくじるな」のメッセージは重く、失敗をしないよう、慎重に、そして新しいことにいかに取り組んでいけるかがポイントになりそうです。

小紫芳夫さんは他にも臓器移植の団体を取りまとめるなど社会貢献にも一役買った人物。新しいことを取り組んでいく中で色々なハレーションがあったとしても、実現のためならどんな仕事でも引き受けるという貪欲な姿勢は今の経営者にも必要なポイントと言えそうです。

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