株式会社フヨウサキナ、美顔器誕生までの物語!

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100万人以上に愛される美顔器を開発し、化粧品やサプリメントなども人気を集めているのが株式会社フヨウサキナです。奥村久雄さんが創業した株式会社フヨウサキナですが、なんといっても注目を集めるのが美顔器です。美顔器の業界では空前の大ヒットとなり、サキナピノ、サキナルルシェ、サキナビジューは多くの人に愛される美顔器となっています。そんな美顔器が今のようになるまで、どんなストーリーがあったのか、詳しく解説します。

最初は乗り気でなかった美顔器販売

サキナの美顔器が初めて世に出たのは、1982年のことです。株式会社フヨウサキナ創業者の奥村久雄さんは、富山の置き薬を扱う会社であり、美顔器販売には当初全く興味を持っていませんでした。しかし、ある時、知り合いの人に、家で使える美顔器があるから見てほしいと話を持ち込まれます。奥村久雄さんからすれば、美顔器を利用したところで、それを利用した全員がキレイになるわけではないし、できないであろうと考え、美顔器の販売に乗り気ではありませんでした。それでも無下に断るのも忍びないということで、奥村久雄さんの母親や、その友達、親戚の人などに美顔器を貸し、忌憚のない意見をもらった上で断ろうとしたところ、貸し出した全員が、美顔器が欲しいと言い出すことに。これはすごい商品なんだと気付いた奥村久雄さんは、この時、美顔器の販売に乗り出す決意を固めます。

売れるまでには一苦労だった美顔器

株式会社フヨウサキナの創業者である奥村久雄さん、美顔器の反応がとても芳しいものだったため、これならいける!と踏み、積極的にセールスを行い美顔器販売に乗り上げ、株式会社フヨウサキナの前身にあたる会社も立ち上げます。ところが、慎重に売れるかどうかを吟味し、周囲の反応を見て決断した美顔器が一向に売れません。営業マンとして売れる!と確信したはずの美顔器が売れない、いったいなぜか、奥村久雄さんは焦ります。モニターをかけても反応は良くない、これはおかしい、奥村久雄さんは色々と考えます。すると、自分自身の気持ちの問題が原因であったことに気付きます。元々は断るための口実を作るために、セールス、モニターを行ってそれが期せずして芳しい反応を得ることにつながり、今度はこれはいいものだと思ってセールスをかけてダメだった、前回と同じように、買うのも買わないのもあなたの自由というくらいがいいかもしれない、奥村久雄さんはそのように改心します。

必死に売ろうとするのではなく、まずは使ってもらって納得したら購入してもらう、このやり方に切り替えます。現在サキナビューティーラウンジでは、3回まで美顔器の無料体験が行えるようになっていますが、これは自分で試してとてもよかったから購入したいという思いにさせるためであり、必死に勧誘をするなどのことはしません。勧誘をしてしまえば、奥村久雄さんが当初苦しんだ状態と何ら変わらないからです。もし奥村久雄さんがこれに気づかず、従来のセールスを押し通そうとしたら株式会社フヨウサキナはここまでの発展を見せていなかったでしょう。そして、美顔器を購入した人が、周囲の人にオススメしてあげる、この流れで100万人の人に利用されるに至ったというわけです。

美顔器の歴史は急速に

美顔器はこれまでに代替わりを重ねて今に至ります。現在株式会社フヨウサキナでは、サキナビジュー、サキナルルシェ、サキナピノが販売されていますが、以前にもサキナの美顔器はあります。大きな特徴としてほぼその機能が変わっていない点です。スチーム機能やテスラー機能は変わっていませんし、途中でクリーナー機能や赤外線機能が加わっています。鏡をつける、照明をつけるなどのマイナーチェンジなどはあったものの、実験的に何かを行ってそれが失敗に終わるというのはほぼありません。細かな部分で違いこそあれど、美顔器の本質的な部分に違いが全くない、それがサキナの美顔器の特徴です。

美顔器の歴史は40年近くになり、これまでに100万台以上が売れ、親子2代、3代にわたって売れて、使われてきたことがわかります。美顔器の歴史は急速に発展し、今後もその歴史の変化が見られるでしょう。ただ1つ言えるのは、本質的な部分は一切変わらず、株式会社フヨウサキナの創業者である奥村久雄さんの魂は受け継がれていくということです。

まとめ

株式会社フヨウサキナの歴史は美顔器とともに歩み続けており、多くの女性、有名人にも愛される存在となっています。ニーズこそあれど、本質的な部分は一切変えず、普遍的な美を世に送り出し、訴えかけていく、株式会社フヨウサキナの挑戦は今後も続きますし、美顔器を頼りにする方も今後も出てくることでしょう。

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