中村大輔が湘南美容外科でポジションをつかむまでの道のり

会社

新型コロナウイルスの影響で、多くの業界が大変な思いをしている中で、美容整形の業界はかなりの需要が確認されています。新型コロナウイルスで営業自粛、在宅勤務を強いられる環境は、ダウンタイム期間、誰にも会わずに済む、画面越しであればごまかしが利く、何より仕事中にマスクをしていても誰からも咎められないなどの状況もあり、これはチャンスとばかりに美容外科に訪れる人が少なくありません。
最近話題になっている「夜の街」の関係者も、この機会にメンテナンスをしておこうとばかりに多くの女性が足を運びます。一種のバブル状態になっている美容外科の世界、その中でもトップクラスの実績を残しているのが湘南美容外科です。
湘南美容外科といえば、多くの医師がおり、1人1人の医師が優秀であり、腕利きです。その中で湘南美容外科クリニック、湘南美容グループのナンバー2、統括院長を務めているのが中村大輔さんです。

中村大輔さんの学生時代をまとめてみた!

中村大輔さんは、1973年、昭和48年8月30日に生まれ、2020年で47歳になります。この年は出生数のピークを迎えており、巨人がV9を達成した時代でもあります。ちなみに、中村大輔さんが生まれた1973年8月30日は、当時阪神に所属していた江夏豊投手が史上初の延長戦ノーヒットノーランを達成しています。同い年の有名人には、大泉洋さん、宮沢りえさん、バナナマンの設楽統さんなどがおり、出生数が多かったために、誰もが知る有名人も1973年に生まれていました。

中村大輔さんが生まれ、幼少期を送っていたのが、大阪府大阪市東淀川区にある上新庄です。上新庄の周辺は下町らしさが見られ、人口もさほど多くなかったこともあって、和気あいあいとした雰囲気が漂う、住みやすさのある街です。
当時の中村大輔少年は、この当時の子供らしく、上新庄の街、外を元気いっぱいに駆け回るような、いかにも少年だったとのことです。幼少期から勉強が人に比べてもよくできていた中村大輔さん、自然と勉学にも力を入れるようになり、中学受験をすると灘中学、灘高校へと進学。
東大などを目指す人が多い高校でしたが、それは当たり前として何かに打ち込む生徒が多く、中村大輔さんの場合は、灘中学時代は卓球に、灘高校時代はラグビーに打ち込むスポーツ少年でした。

文武両道をひた走っていた中村大輔少年は、どこで医師を目指すことになったのか、それは1冊のマンガの存在です。手塚治虫氏が書いたブラックジャックです。
ブラックジャックが登場したのは、奇しくも中村大輔さんが生まれた1973年からで、10年間にわたって連載が行われてきました。無免許ながらも神業のテクニックで多くの人を救ってきた天才医師を描いてきました。また手塚治虫氏自身も医師免許を持ち、マンガを書きながら医師免許を取得したのは有名な話です。
自分の腕だけを信じ、多くの患者を救っていく姿に、当時の少年たちは感動し、自分もブラックジャックみたいになりたいと、医師を目指した人は少なくなく、美容外科などを志す人にブラックジャックを読んでいた人もおり、中村大輔さんもその1人でした。灘高校を卒業すると、神戸大学医学部に進学し、ここでヨットにハマり、海が好きになります。休みが2日あれば海に行く、新型コロナウイルスの状況で今は難しいかもしれませんが、休みがあれば海に行くことでストレスを発散していることでしょう。

中村大輔さんが医師になった

2000年に神戸大学医学部を卒業した中村大輔さんでしたが、卒業後は東京大学医学部整形外科に入り、附属病院での勤務をスタートさせます。中村大輔さんは麻酔や救命救急をこの時担当しており、一分一秒を争い、予断を許さない緊迫した環境において、多くの人の命を救うとともに、複雑な思いを抱えていました。
ドラマでありがちな出世争いは実際にあり、年功序列によってなかなかチャンスに恵まれない状況に色々なことを考えます。自分の実力、スキルをしっかりと評価してほしい、そして、ブラックジャックのように多くの人を救いたい、様々な病院で働くうちに、医師としてのスキルアップ、そして少年時代に読んだブラックジャックのような医師になることの憧れなどもあり、中村大輔さんは決断を下します。
7年間務めてきた東京大学を辞めて、美容外科で勝負することを決断したのです。それでも、そこまで長く働くつもりはなく、2年程度美容外科で働けばいいと思っていたようですが、美容外科の世界はブラックジャックのような世界でもあり、自分のスキルがストレートに反映される世界でもあったために、美容外科の魅力に段々と気付くようになります。その結果、2年だけ働ければいいやと思っていた中村大輔さんでしたが、気が付けば10数年も湘南美容クリニックで働き続けることになります。

湘南美容外科クリニックでの中村大輔さんの歩み

2007年に湘南美容外科に入った中村大輔さん、その年には、同じ年に開院した新宿にあるANNEX院の院長に就任します。
2009年には池袋院、2013年には新宿本院と湘南美容外科クリニックの主要なクリニックで院長を務めるようになり、2014年には湘南美容グループの副統括院長、そして、2018年には湘南美容グループの統括院長に就任します。湘南美容グループの中でもナンバー2の位置づけであり、湘南美容外科クリニックになくてはならない存在になりました。

一見すると順風満帆に事を進めてきた印象を受けますが、その間には様々な衝突があり、池袋院の院長を務めていた際には、池袋院を一気に大きくさせていく過程において、そのスピード感についていけないなど、中村大輔さんとスタッフとの間で意見がぶつかり合い、見解の相違が目立つようになります。
この状況に中村大輔さんは、どうすればいいのかと頭を抱えますが、中村大輔さんはまずコミュニケーションを徹底的にとっていこうと、スタッフと話し合いを徹底し、見解の相違があればしっかりと説明することを行い、事あるごとに長文のメールをスタッフに送るなど、中村大輔さんが持つ実直さなどをスタッフにぶつけていったところ、スタッフが中村大輔さんを信頼するようになり、池袋院は大きく成長します。
現在中村大輔さんが湘南美容グループのナンバー2としていられるのは、中村大輔さんの人柄もそうですが、内に秘めた熱さも大きく関係しています。この状況を見ているため、のちに新宿本院を任されるようになり、今の姿があります。

まとめ

中村大輔さんの人生を簡単に振り返りましたが、動画などでの話し口を見る限り、温和で、スタッフに対しても優しいまなざしを向ける方です。
少年時代や学生時代に活発だったイメージを浮かべることは難しいですが、内に秘めた思いはほとばしるように発露しており、それが多くのスタッフの信頼につながるばかりか、中村大輔さんに対する患者さんの信用につながっているのかもしれません。
湘南美容グループにとってなくてはならない存在であり、医師としても幹部としても主要メンバーの1人になりました。ブラックジャックを読んで医師を憧れるようになってからだいぶ経ちましたが、純粋に思っていたその思いは今も薄れることなく、新型コロナウイルスの影響からバブルのような状態になっている今でも、メラメラと燃える炎のような情熱で患者さんと接していることでしょう。

コメント