株式会社ダイナック 代表取締役 田中政明さんが社長になるまで

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株式会社ダイナックとは?

今回ご紹介するのは、株株式会社ダイナックで代表取締役をつとめる、田中 政明さん。
株株式会社ダイナックは、株式会社ダイナックホールディングスの傘下起業。1958年創業で、グループ全体で249もの店舗数を誇ります。なかでも株株式会社ダイナックが運営しているのは、「響」「魚盛」「鳥どり」などの飲食店また、ケータリングサービスや文化施設内のレストラン経営なども行っています。「食の楽しさをダイナミックにクリエイトする」というモットーのもと店舗数を増やし、全国に職の楽しさを広めています。
そんな株式会社ダイナックを率いる代表取締役、田中 政明さんはどのような人なのでしょうか?生い立ちや、就職してから社長になるまでのキャリアを見ていきましょう。

田中 政明さんの生い立ち

1958年、田中 政明さんは兵庫県で生まれます。老舗染物店の実家を持ち、京都大学出身の技術者だった父親とは敬語を使うような関係で、当時兵庫県が父親のために用意した大豪邸に住んでいたそう。中学は甲南大学の付属校に進学。そこで運命的な出会いを果たします。その相手とは、のちにサントリーニ入社後上司となる人。当時からその方には商売の才能があったそうで、学園祭の模擬店を切り盛りしたのを縁にかわいがってもらっていたそう。田中 政明さんは当時、バレー部の主将をつとめていたそうですが、ワンマンリーダーで下がついてこない時期もあったんだとか。しかしこの運命の出会いによって学ぶことがあり、後に弱小チームを強くしています。このときから、先頭に立って周りを率いていくタイプだったようです。

田中 政明さんが就職して社長になるまで

大学4年で就職活動をするとき、メーカー志望だった田中 政明さんは、たまたまサントリーの副社長を紹介してもらえることに。そして、サントリーへの就職が決まります。最初の数年は営業部で働き、業態開発部に異動。それ以来ずっと、サントリーグループの外食部門を支えながらキャリアを積まれています。田中 政明さんが最初に社長になったのは、ファーストキッチン。そこで前任の社長から業績の立て直しを引き継ぎ、現在の株式会社ダイナックの社長を就任します。なんと、ダイナックの前身である株式会社新宿東京会館と田中 政明さんは同い年。ここにも縁を感じているんだとか。まずは、店名は浸透しているものの、なかなか社名が浸透していないことを課題とし、PRしていくそうです。

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